神・中山みき伝(年代式)

 

 先人の話の台より

 

道をつくそうという心の者はこわきあぶ無き恐れて居る様ではどむ成らん。暑さ寒さひだるい、かえだるい位いのというていてはども成らん。どの様な事も出来るだけの辛抱して、何でも教祖の御通りに成りた道をしとうて、その万が一でも通らして貰いたいと思うて人を助ける為には暑さがどれ程ひどきとも、寒さがどれ程厳しいとも、少しもいとわぬから。体がひだるいともでけるだけの辛抱をして、恐ろしい所も恐れずに骨を折りてこそ、教祖の跡をしたいたいといわれる。

 

それ教祖の苦労はちょっとにいはれんけれども、一つ二ついうなら夏の暑い時に監獄へ引かれ、夜といえば蚊帳もなし。蚊に喰はれて二十日余りで御帰りに成りたことも有り。又、六十日ばかり監獄へ引かれて何も食べず水も飲まずに御出に成ったることも有る。警察え引かれた事は幾度も数知れず。

 

冬の寒い最中でも椅子へ腰を掛けさせられて御通夜の事もあり。当番の警吏が居眠りをして願い御日様の御上りあるのも知らず火を灯しあるについにおこたりてこれを消して帰りて警官が眼をさました事も有る。成れども誰をうらむと云う事無く、ある時は門え物売りに来る者あれば警察署におりながら買ってこれを官吏にこれをやり、皆一れつはわが子で有るといはんばかりのおけしきであらせられました。

 

この大きなる心を皆々心として道を尽くす事ならばこわきあぶなき事は無い。危なき所でも神が楽に通してやろうという。それあんじる事は入らん、心の働きが第一であろう。